番外編 ブックオフのバイブスを可視化した「3000円ブックオフ」――♨さんインタビュー

2022年5月10日
posted by 谷頭 和希

『ブックオフは公共圏の夢を見るか』の番外編企画として、「3000円ブックオフ」という遊びを始められた♨️さんにお話を伺いました。

3000円ブックオフは、ブックオフで3000円分の商品を買って、その結果をTwitterなどで報告するというものです。現在では、ブックオフのオウンドメディア「ブックオフをたちよみ!」でも取り上げられるほどメジャーな遊びになっています。3000円ブックオフの面白さや、それが生まれた経緯などを♨️さんにお聞きしました。

ふわっとした紹介でいい

――♨️さん、どうぞよろしくお願いします。

♨️ よろしくお願いします。

――聞くところによると、♨️さんは、このインタビューのためにわざわざ3000円ブックオフをやってきてくださったそうですね。お手本として、買った本を披露していただけますか?

♨️ 分かりました。いま、買ったものをツイートしました。

♨️ 1冊目が、『精神の非植民地化』(グギ・ワ・ジオンゴ、1986年)という本です。1280円でした。タイトルと帯の感じで面白そうだなと思って。英語を使っていないと、国際社会での活躍が難しいって話があるじゃないですか。そうした問題を、アフリカ視点で書いたものらしいです。まだ読んでないからわからないんですけど。これは読むべきだと直感が働きました。

――3000円ブックオフって、買った本を紹介する時に、まだ読んでいない本を紹介することが結構あるじゃないですか。だから全部予想で本の紹介をするっていう(笑)。

♨️ そうそう、なかなか無いですよね(笑)。二冊目は菊池成孔の『次の東京オリンピックが来てしまう前に』です。Twitterで話題になった「トランプを支持する(皮肉ではない)」が載っているので気になっていました。これも読んでないので、ふわっとしたことしか言えないんですが(笑)。

――全てが、予想とふんわりした紹介という(笑)。

♨️ これが2冊とも1280円で、すでに2560円です。で、余ったお金で買ったのが「ウンチカシツキ」です。510円でした。

――突然、加湿器を?

♨️ いろいろ理由があって、買おうと思っていたんです。それで、たまたま行ったブックオフに加湿器が売っていて(笑)。中でも安かったのがこれですね。

――510円ってめちゃくちゃ安いですね。

♨️ その「3冊」で3070円です。

――加湿器のように、本以外の商品も買っていい、というルールなんですね。

♨️ そうですね。3000円ブックオフには「本だけ買う」っていう縛りがないので。ブックオフに売っているもので3000円になるように、というルールしかないんです。

――最近は服などを扱う店舗も増えてますしね。3000円ブックオフの厳密なルールはあるんでしょうか?

♨️ 僕はあんまりルールについては言ってないですね。「ブックオフで3000円になるように買い物して、できたら「#3000円ブックオフ」で見せましょう」というざっくりしたルールだけ言っています。あとは、3000円ブックオフをやる人がそれぞれ細かくルールを設定していますね。

――じゃあ、♨️さんが始められてから自然発生的にみんなやるようになった感じですか。

♨️ そうです。

3000円ブックオフのバイブス

♨️ 最初に3000円ブックオフをやったときのツイートが広がったんですよね。あとは、みんなどんどん勝手にやっている。

――そのツイートはいつぐらいですか?

♨️ 2020年6月16日ですね。

――意外と新しいんですね! 勝手に、もう5年ぐらい前からやっているものだと思っていました。そもそも、そのときに3000円ブックオフを始めた理由はなんだったんですか?

♨️ 暇だったからですね。休みでやることがなくて。やることがないときって、外に行くならブックオフしかないじゃないですか。でも、ただブックオフで買い物するのもなあ、と思ったんです。同時に、昔TSUTAYAで5枚1000円のCDを借りていた時代のことを思い出して。値段を設定して、その中で物を選んで買うことをやってないぞ、と思ったんです。

それで、思いついたときに気が大きかったから、値段設定が3000円になってしまった(笑)。しかも、一度やってみたら反響が大きかったので、当初は月に一度開催することにしたんですよ(笑)。

――すごい(笑)。

♨️ 案の定、月一では開催されなかったんですけどね。月に3000円もブックオフに使っていられない。

――(笑)。今はどれぐらいの間隔でやっているんですか?

♨️ ふらっと、気の向くままにやるのがいいかな、という感じですかね。たまに、仕事帰りという謎のタイミングで3000円ブックオフのモチベーションが沸くときがあって(笑)、そういうときに行くのがいいかと思います。仕事帰りに自転車を漕ぎながら、聴いている音楽でノリノリになって、そのままブックオフに行ってやろう、みたいな。今日は行っちまうぞって感じで。

――(笑)。そういう感じで飛び込んでいくわけですね。ある種のテンションがないと、やろうという気にならないのかもしれないですね。バイブスがないと。

♨️ そうそう、「3000円ブックオフバイブス」ですよ。己の3000円ブックオフバイブスに従うまでですね。

――かっこいい。♨️さん自体には、3000円ブックオフをどうこうする権限はないわけですね。

♨️ 持ってないです、そんな権限(笑)

――どこかからやってくる「3000円ブックオフバイブス」に従っている、と。3000円ブックオフに面白さを感じているからこそ、そのバイブスを受信し続けているんだと思いますが、その面白さはどこにあるんでしょうか?

♨️ いちばん近いと感じるのは、遊戯王やデュエル・マスターズのデッキを組むときです。限られた条件の中で最適なカードを選ぶという。そこに自分らしさが出る。そこで現れる「自分らしさ」の愛おしさですよね。

やっぱり自分のデッキって自慢したくなるじゃないですか。それで、他の人のデッキも見て、へえ、そういうふうに選ぶんだっていうことを知る。選び方も人それぞれで、味があっておもしろい。だから、300円でおやつを買うときのセンス・バトルをブックオフでやっているような感覚ですね。

――なるほど。限られた中でどうデッキを工夫していくか。そこでの工夫の中に人となりが現れて、それこそが3000円ブックオフの面白さにつながっていくと。今回やっていただいた3000円ブックオフは、どういう経緯で決めたんですか?

♨️ さきに本を買いました。本当はもう1冊欲しい本があったんだけど、3000円を大幅に超えてしまうのでそれは諦めました。残ったお金で買える唯一の加湿器が「ウンチカシツキ」だったという……。

――じゃあ、「ウンチカシツキ」との出会いも、ある意味で運命ですね(笑)。

♨️ 運命の出会いですね。3000円ブックオフがもたらした出会い。3000円っていう値段設定が無かったら買わなかったですね。

――その「出会い」にこそ3000円ブックオフの面白さがあるのかもしれません。

買えない辛さ

♨️ ただ、辛いこともあります。

――なんですか。

♨️ 3000円買わないといけないことです(笑)。

――根本的!どういうことですか。

♨️ 2〜3時間経っても決まらないときがあって。延々とブックオフにいないといけないんですよ。店内放送で寺田心くんの声を何回聞くんだっていう。

――今は、「ブックオフなのに本あるじゃん」っていうフレーズですよね。

♨️ それを2回も3回も聞かされて、だんだん気が変になってくる。

――(笑)。たしかにブックオフで物を選ぶとき、決め手に欠けることってありますよね。

♨️ ビシッと締まらないみたいな。

――ブックオフの商品棚って頻繁に変わるわけではないけど、なんだかすごく平板に見えるときがある。

♨️ そうなんですよね

――やっぱりこの感覚、あるんですね、嬉しい。

♨️ そのときは、自分の調子がおかしいんですよね。さっきも話題に上がりましたが、3000円ブックオフバイブスがおかしい日がある。そういう日は苦しむことになりますね。

――そんなバイブスに♨️さん以外の人も導かれて3000円ブックオフが広がっているということですが、今までの投稿で印象に残っているものはありますか?

♨️ 2600円ぐらいで岡﨑乾二郎さんの『モダニズムのハードコア』という、ほとんど市場に出回っていない本を入手していた投稿があって。「3000円ブックオフミラクル」と呼んでいるのですが、単純に羨ましくて覚えています。

――希少本をブックオフで買えたときの喜びはすごいですよね。

♨️ それと、読書系の学生サークルで3000円ブックオフをやる、という投稿もありました。買った本は見られないんですけど、めちゃくちゃ結果が知りたくなります。

――3000円ブックオフが広がってきているんですね。

♨️ この間、3000円ブックオフで買ったCDでDJイベントをやるというイベントもありました。

――ええ、そんなイベントが!じゃあ、3000円ブックオフで買った本でファッションショーみたいなこともできるわけですね。

♨️ できます、できます。実は結構、応用が効くフォーマットですよね。

3000円ブックオフで二次創作!?

♨️ あと他で面白いのは3000円ブックオフの二次創作ですね。「3000円ブックオフ怪談」や「3000円ブックオフ青春小説」などがあります。

――そんなものが!

♨️ 最初見たときはびっくりしましたね。「3000円ブックオフ青春小説」は、学生が3000円ブックオフを用いた企画をして、そこに青春が生まれているっていう。素晴らしい小説です。

――先程の話にも出てきましたが、3000円ブックオフは今まで出会ったことがないモノと出会う可能性があるから、それが青春小説を生み出し得るのかもしれないですね。

♨️ ぜひ読んでみてください。

――この広がり方は尋常じゃないですね。そうやって広がることに対して、♨️さんはどう思われているんですか?

♨️ 広がることに対しては特に何も思ってないけど、自分以外の他の人にもバイブスが働いているな、というのは感じますね。

――みんな、ブックオフが出すバイブスを受信しているのかも。やっぱり全てを動かしているのはバイブスなのかもしれません。

♨️ だから自分がどうのこうのというのは関係ないですね。

――3000円ブックオフが面白いと思ったのは、ブックオフを使って遊ぼう、っていう姿勢なんですよね。ブックオフは、とにかく色々な商品が価値に関係なく置かれていて、それをどう使うか・どう遊ぶかというのは、我々に任されている感覚があります。だから、その遊び方の一つとして商品との思いがけない出会いを誘発する3000円ブックオフはすごくいいなあと思っています。傍観者として思っているだけなんですが……。

♨️ いやいや、谷頭さんも参加者ですよ!

――たしかに、3000円ブックオフってみんな参加者みたいなところがありますよね。僕にもバイブスが……。

♨️ 僕も一参加者でしかない。今では、僕のことを知らなくても3000円ブックオフだけ知っている人もいて、みんな当たり前のように「3000円ブックオフ」という言葉を使っていますし。

――じゃあ、創始者という言い方は少し違うのかもしれません。

♨️ そうですね、最初に始めた人でしかないので。ブックオフのバイブスに形を与えたっていう感じですよね。

――ある意味では、3000円ブックオフ自体が、ブックオフが持っていたバイブスから必然性を持って生まれてきたのかもしれないですよね。元々、ブックオフにあったバイブスをうまくキャッチしてそれを形にしたというか。

♨️ 必然的に、潜在的にあった遊び方に形を与えたっていう感じですね。僕がしたのはそれだけですからね。だから、みんな自由に3000円ブックオフを使って遊んでもらえればいいんじゃないかと思っています。

*  *  *

連載の第3回目で私は「ブックオフを使って遊ぼう」と書いた。ブックオフ自体はもはや我々の本を取り巻く環境の中に組み込まれている。だからブックオフを否定的に語るだけでなく、それを使って遊んでいこうという提案である。

3000円ブックオフは、ブックオフという多種多様な本・雑貨に囲まれた環境の中での偶然の出会いを可視化した遊びであり、「ブックオフで遊ぶ」良い例だといえるだろう。その遊びがこれほどまでに広がりを見せているのは、もしかするとブックオフ的な、商品との予期せぬ出会いを果たしうる空間のあり方が広く求められているからなのかもしれない。

これからも3000円ブックオフがどのような広がりを見せるのか、目が離せない。

過去から届く未来の荒廃

2022年5月7日
posted by アップリカ ラクーナライト

第31信 藤谷治から仲俣暁生へ

仲俣暁生様

前にお便りを差し上げてからふた月ほど経ちましたが、ロシアのウクライナ侵攻はまだ続いています。前便で僕は判らないと書きました。今や混迷は言いようのないほど醜悪の度を増しています。

人間がどれほど残虐になれるかを、物書きはせめて報道ででも見なければならないと思うから、報道には触れますが、まともな神経の持ち主なら耳をふさいで逃げ出すのが当然のできごとが毎日繰り返されています。

日本人が戦争をしていた頃のことを、どうしても考えます。もちろん僕はそれを知らないし、想像の限界を超えているとも思います。ただ僕も仲俣さんも、ある程度の距離がある「おとな」の中に、今ウクライナで行われていることと大差ない惨状を経験して帰ってきた人々を見、話をすら聞いています。「ある程度の距離」というのは、僕たちの親や兄の世代ではなく、もう少しだけ上、祖父や伯父、あるいは近所に出入りの植木屋さんとか、電車の中でからんでくる酔っ払いの中にいた、という意味です。銭湯で知らないおっさんから、刀傷や貫通した銃弾の痕を見せられたことは、仲俣さんにもあるのではないですか。

そんな人たちの話を見聞きしたのが戦争体験だなどとは言えるわけもありません。しかしそれはいわば「戦争体験者を体験した」とは言えるはずです。今の世で同じ人に出会って、戦争体験談を聞くことはもうできません。

聞かずに済むようになった、と、僕としては言いたいところです。戦争から帰ってきた男たちの話はしつこく、要領を得ませんでした。自分の知っている戦地をこちらが知らないわけはないという前提で喋るし、知らないと判ると理不尽に馬鹿にしたり罵ったりしてきたものです。

「なんだオメエ、第ナントカ連隊のナントカ連隊長を知らないのか? 何にも知らないだな今どきのガキは!」

彼らは僕の無知を軽蔑していたのではありませんでした。彼らはただ苛立ち、何に苛立っているかも判らず、判ろうともしていなかった。判ろうとするのは、あの残虐な出来事をもう一度体験するようなものだったからでしょう。

僕たちは戦争を体験していないが、戦争を体験した人間には触れたのです。僕が銭湯で中年男のえぐられた脇腹を見せられたのは、戦争が終わって四半世紀も経ってからだったというのに。

*  *  *

仲俣さんのフェイスブックに教わって、レイモンド・チャンドラーの代表作『The Long Goodbye』が新たに翻訳されたと知りました。創元推理文庫から出たその『長い別れ』(田口俊樹訳)は、僕にはこれまでで最もすぐれた翻訳だと思えます。長いこと独占的だった清水俊二の『長いお別れ』は、抄訳とまで行かないのかもしれないけれど、文章を間引いて原文をスピーディに、かつカッコよく演出していたようですし、数年前の村上春樹訳『ロング・グッドバイ』は、現代日本文学を代表し一世を風靡した、村上春樹氏自身の小説世界と、あまりにも似すぎていました。

今度の田口訳はそのどちらでもありません。『The Long Goodbye』が優れた小説であることは十二分に意識しながら、しかし決して作品世界に何かを託したり、入れ込んだりしている気配はありません。田口訳によってようやく僕は、原書を読もうとしても読めなかったところ(ほとんどの部分です)や、この作品の欠点と魅力を、比較的きちんと把握できたように思います。

僕は中学生の頃に清水訳の『長いお別れ』を読んでから、三十代前半まではチャンドラーをよく読んでいました。その頃清水氏はまだ長編の全訳はなしておらず、双葉十三郎や田中小実昌の訳で、短編は稲葉明雄が訳していました。

清水氏が長編をすべて訳し終える前に、僕のチャンドラー熱は冷めました。村上訳が出た時には再び興奮しましたが、次々と出る新訳を追いかけ続けるほどにはなりませんでした。

フィリップ・マーロウという狂言回しに「男性的な」魅力を感じることは、二十代になる前に、もうなくなっていました。しかしマーロウを含め、僕は今でもチャンドラーの人物造形力には驚嘆しています。チャンドラーは物語内でどんな小さな役割しか果たさない人間でも、印象的に描きます。タクシーの運転手やエレヴェータ係、警官や老人や医者や召使といった、脇役中の脇役を、忘れられなくするチャンドラーの筆は、他の追随を許しません。それは時に、物語の進行を滞らせることすらあります。それはチャンドラーが、「物語」よりもはるかに「小説」の創作に長じていたことを示しています。

しかし――僕は自分のことを棚に上げ続けていますが――小説家としてのチャンドラーは、いかにも古風なロマンス信者、あるいはロマンスへの反抗者であるというほかありません。彼には物語を手際よく綴るという才能が欠けていたし、恐らくそのような技量には、軽蔑を感じていたと思います。チャンドラーがアガサ・クリスティを嘲弄し、ヘンリー・ジェイムズを好んでいたというのは、まったく示唆的というほかありません。彼はパルプ小説を文学に昇格させたのではなく、結果的にそのような小説をしか書くことができなかったのです。……それは悪いことでもなければ欠点でもなく、まったく素晴らしいことではあるのですが。

チャンドラーには今でも感心しきりです。弱点もあるけど長所は圧倒的に優れています。しかしすでに多くの指摘がある通り、彼の小説は基本的に「現代における騎士道精神の幻滅とささやかな勝利」という美学を倫理とするものです。彼はその騎士道精神が、現代においては女性不信と矛盾しないことを発見しました。それに現代社会への気の利いた皮肉と小気味いい暴力が加われば、大衆の人気を得るのには「文学的な品位」などは邪魔にならないのかもしれません。

今の僕は圧倒的にダシール・ハメットに魅了されています。それはチャンドラーを読むのとはまったく、まったく別種の経験です。

高校生の頃に『ガラスの鍵』を読みましたが、これは読んだうちに入りません。無味乾燥、いささかも心を動かされませんでした。出来事がぱらり、ぱらりと書いてあるだけで、筋もはっきり見えてこないし、なんのつもりでこんな小説を書いているのか、さっぱり理解できませんでした。

再読を始めたのは五十を過ぎてからです。晩年の小鷹信光氏が『デイン家の呪い』を訳してハメット長編全作訳出を達成したのちも、『マルタの鷹』の改訳だけでなく、ハメットが死ぬまで完成させようとしていたという『チューリップ』の未完原稿まで翻訳したと、小鷹氏の没後に知りました。書店で諏訪部浩一氏の『「マルタの鷹」講義』を見つけたこともあり、試しにもう一度、と読んでみたのです。そして読み始めると、もう読み捨てることはできなくなりました。

ハメットは僕にとって汲めども尽きせぬ永遠の謎です。数十の上出来な短編と、それぞれまったく趣を異にした五作の長編を十年ばかりのあいだに書きあげると、以後はすっかり書けなくなりました。あのウェルメイドな短編を見れば、彼が書けなくなるなど考えられないことです。彼の「非米活動」や共産党入党などは、小説を書く情熱になんの足かせになるものでもありません。偽名でも何でも使って書いたでしょう、もし書けていたなら。しかし彼は書けなくなった。『チューリップ』という断片は、それを無惨に証明しています。

――仲俣さんには笑われるかもしれませんが、ハメットの生涯を思うとき、僕は人間には生来の才能とか資質など、実はないのではないか、人間は「ミューズ」に愛されている(あるいは、取りつかれている)そのあいだだけ、かろうじて何事かを表現し創作できるのではないか、傑出したものを創作する者であればなおさら、と、幻想せずにはいられません。

*  *  *

長々とした手紙になりました。現実逃避の楽しみに惑溺しているのかもしれません。報道は潮が引くように遠い国での戦争から遠ざかっているように見えますが、これが世界の暗い分節点として小さくないものであるのは間違いありません。

しかし――前の手紙にも書いたと思いますが――この侵攻、戦争は、いつか終わります。兵士として駆り出された人々は故郷に帰るでしょう。破壊された家に戻らなければならない人もいるでしょう。「英雄」として持て囃される人間すら、いるかもしれません。

彼らはこれからどのように生きていくのか。彼らの中に何が残るのか。

チャンドラーやハメットの描いた人物に、僕は過去から届く未来の荒廃を見るような気がしています。

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〈カタリココ文庫〉がはじまったわけ

2022年3月10日
posted by 大竹昭子

文庫サイズの本をシリーズで刊行している。
名称は〈カタリココ文庫〉といい、ちょうどいま写真家・畠山直哉さんとわたしの対談と彼の随想が入った第8巻『見えているパチリ!』が出たところだ。ポケットに入れて、電車の中とかランチの後などにさっと取り出して読み終えられる80ページくらいのものである。このような手軽な形にしたのは、ケータイ文化に抵抗するには本にまとわりついた重たいイメージを払拭する必要があると思ったからだが、薄いのは厚みだけで、中身の濃さは保証付きである。

〈カタリココ文庫〉の最新刊には写真家・畠山直哉さんの随想に、筆者との対談を収めた。

『見えているパチリ!』の企画は、文芸誌『新潮』の大震災特集号に畠山直哉さんが寄せた「心の陸前高田」を一読してすぐに思いついた。畠山さんは、東日本大震災の津波で母と実家を失って以来、それまで国内外に向けてきた視野を転換して故郷の陸前高田に絞り、ほとんどすべての時間を町の様子を観察し、撮影して、発表することに充ててきた。書かれた文章は、その時間のなかで去来したさまざまな問いや思いを、どっしりと構えながらも写真家らしい歩行のリズムで綴った稀有な読み物だった。

これは〈カタリココ文庫〉に入れて残したい、それに加えて彼の近況を伝える新たな対談を載せたい、と瞬時に本の全体像が浮かんできた。彼とは大震災のあとに数回にわたってトークし、『出来事と写真』という本をまとめたことがあったが、その続編が作れたことは格別のよろこびであった。

本をもう一度、場にもどす

〈カタリココ文庫〉のよさは、このようにわたしが出そうと思えばすぐに出せることである。会議を通したり営業の顔色を窺ったりすることなく、自分のいまの関心を本の形にくるっと包んでさっと差し出せる。その率直さとスピード感がわたしには好ましい。

もちろんまわりには心強い協力者がいて、デザイナーも校正者も一流の仕事をしてくれるし、共著者の力添えも大きい。ちなみに、『見えているパチリ!』という意表を突くタイトルを考えてくれたのも畠山さんで、彼がおずおずとこれを口にしたとき、即座に、いただき!と思った。歩きながら、考えながら、ファインダーを覗く彼の姿が、パチリという音とともに浮かびあがってくるようで魅力的だ。

〈カタリココ文庫〉はいま、年3冊というかなりのハイペースで出しているが、そうなったのは2020年からである。つまりコロナの感染拡大という事態と重なっている。そうでなければ、出したいときに出す、というようなもっとのんびりしたペースになっていただろうから、改めて日常がとどこおりなくつづいていると発想の転換はしにくいものだと思う。

「カタリココ」とは「語り」と「ここ」を合わせたことばで、かなり前にトークと朗読のイベントをはじめたときに考えついたものだ。調べてみるとこれがスタートしたのは2007年で、ということはもう15年もつづけてきたのかと自分でも驚くが、この試みの背景には本が売れなくなったという社会事情があった。本はどこにでも持っていけて自分ひとりで読める完成度の高いメディアだが、その完成度がかえってあだになり、個人にこもりすぎて他者とのつながりを生みにくくなっているのかもしれないと感じていた。物語の発生は、声に出して語る人とそれを聞く人が出会う、というもっと身体性を伴ったものだったはずで、もしそれならば本をもう一度場にもどして身体との結びつきを深めてみることが出来るのではないか。

というように理路整然と考えたわけではないけれど、直感としてはそういうことで、本を介してなにかできそうだという予感をもったのである。15年前と言えば、新刊が出たら著者のトークイベントが企画されるのが当たり前になっているいまとは状況がちがい、作家が人前で自作について語ることは少なかったし、ましてや作品を読み上げるということはなかった。カタリココで恒例の自作の朗読も、当初はそうお願いするとゲストに「えっ!」と絶句されたものだ。朗読は小学校のとき以来していないし、ましてや自作を声に出して読むなんて恥ずかしい!と激しく抵抗されたが、いまはそんな人はいないから、この十数年でずいぶんと変わったものだと思う。

緊急事態宣言下にイメージが広がる

話を2020年にもどすと、カタリココでは毎年春に一年分の予定を決めてチラシを作り告知していた。その年の春、ゲストもほぼ決まりかけてほっとしていた矢先に非常事態宣言が出て、人が集まることが出来なくなったのは周知のとおりである。

本を介して場を作ろうというカタリココの試みは、ココ=場を奪われて梯子を外された格好になってしまった。行動は制限されるし、予定がなくなって時間とエネルギーはありあまっているし、でもそれを散歩と料理だけに使うのはなんだし、と思っていたある日、〈カタリココ文庫〉のイメージが降って湧いたようにやってきたのである。

実は〈カタリココ文庫〉には前史があって、その前年に『「私」のバラけ方』という高野文子さんの特集号を出していた。そのさらに前には福田尚代さんの『美術と回文のひみつ』の企画と制作に携わったこともあった。これは福田さんとわたしのカタリココの対談を彼女が所属する小出由紀子事務所が出版したもので、版元はわたしではないが、それを作る過程があまりに楽しくて自分でもやってみたくなり、高野文子さんの号は自前で出したのだった。

〈カタリココ文庫〉の前史となった0号と1号。いずれもカタリココのトークを再録。

ただし、この段階では定期刊行するつもりはなかったのである。
作りたいものがあったらまた出そう、というくらいの悠長な気分で、内容もカタリココの再録という位置づけだったのだ。

ところが、非常事態宣言下でいきなりイメージは拡大し、カタリココの再録に限らず、新聞雑誌に発表後に単行本化されずに宙に浮いている自分の文章もどんどん出していけばいいじゃないか、カタリココの枠外でトークをして一冊作ったり、丸ごと書き下ろしにしたり、だれかと往復書簡を交わしたり、内容も形式も自由に選んで作ったらいいじゃないか、というように一気に広がっていったのである。まるで道を歩いていたらいきなり間欠泉が噴き出したような具合であり、自由に本を作れるというのはこんなに楽しいものなのか!とびっくりしたのだった。

緊急事態宣言下では3冊を同時に仕込んだ。簡単にそれぞれの内容に触れておくと、まず手を着けたのは『室内室外』である。雑誌『Paper Sky』に「場所」というゆるいテーマで連載していたものを一冊にまとめようと加筆改稿していくうちに、テーマは「室内室外」だと閃いた。外出がままならない状態で「室内」「室外」の境界をいやがおうにも意識させられたし、体の内と外という含意もあり、うまいタイトルを思いついたものだと自画自賛したのだった。

つぎに出した『スナップショットは日記か?』は、わたしが『新潮』に寄稿した随想で、内容は2019年、森山大道がハッセルブラッド賞を受賞したスウェーデンのヨーテボリの式典をドキュメントしながら、スナップショットという手法と日本の日記文学の伝統とのつながりを自分なりに考えてみたものだ。これもタイトルがフックになり、とてもよく読まれている。

3つ目の『絵のうら側に言葉の糸をとおす』は、美術家・鴻池朋子さんの特集号である。東日本大震災の直後、物書きの友人知人に呼びかけて「ことばのポトラック」というトークイベントをはじめ、その後もさまざまなゲストを招いて継続してきたが、その2017年春の回のゲストが鴻池さんだった。

彼女は大震災以降に絵が描けなくなり、美術の概念を広げて新たな模索をはじめたが、そのことを語ったトークの音源を自粛期間中に聞き直したところ、心に強く響くものがあり、これは本にしたいと思ったのである。初回から「ことばのポトラック」を一緒に担ってくれている堀江敏幸さんも含めて3人での鼎談で、美術の枠を超えて活動する鴻池朋子さんの思考の軌跡を知るには欠かせない一冊になった。

おわかりのように、この3冊はどれもカタリココのイベントとはちがう文脈から生まれている。もしもあのまま日常がつづいていたらこういうラインナップは思いつかなかっただろうから、改めて2020年は大きな分岐点だったと思う。

2020年の緊急事態宣言下でアイデアが広がり、この3冊を刊行した。

ノンジャンルの活動に居場所ができた

またこの3冊があぶり出したもうひとつの事実として、ジャンルが一つに絞られていないということがある。実はこのことは15年前にカタリココをはじめたときから意識していた。朗読イベントというと、ふつうは小説や詩をイメージしがちだが、考えをことばにするという意識があり、朗読できる著作のある人ならば、どんなジャンルの人もOKという方針でゲストを選んできたのである。

ジャンルは社会が物事をまわしていくのに後から作られたものであり、個人の思考の道筋とは関係がない。わたし自身の執筆もそうで、写真について書くことは多いが、写真界の動きを追っていくようなことには関心がないし、美術にも興味はあるけれど、あくまでもわたしの関心の網にひっかかってきたものへのこだわりだ。

つまり物事を横断的に考えていくことに惹かれるのであり、軸足をジャンルに置くことは考えてこなかったのである。それは、常に枠の外側に立って自由度を確保しようとする、自分の癖としか呼びようのない行動様式だが、〈カタリココ文庫〉はそうした自分の本質にたしかな居場所を与えてくれた。

イベントはひとつ終わると次のものが来るというように流れの力が強く、静止画像として眺めることがしにくい。だが、本の制作はちがう。流れを止めて堰を造るのに近く、溜まったことばを吟味し練り直す過程によって考えを蒸留できる。ジャンルの括りの底に流れているものに目を凝らすことに自分のパッションの源があると確認できたのは大きな収穫であった。

以前はジャンルを嫌がる自分を天の邪鬼な逃亡者のように感じていた。取り込まれそうになるとさっと身をかわして表通りを離れて路地に入っていく。だが、権威を生み出すヒエラルキーの構造に抵抗するならそうなるのは自然であるし、ジャンルを越境することは細分化された人間の機能をひとつに束ねて全体性を回復することだと主張できるようにもなった。

それには一冊ではだめだったし、ぽつりぽつりと出すのでもわからなかった。一定の速度をもって定期的に出すことにより、自分という人間の内部に蠢くものを編集できたのである。

こちらは2021年に刊行した3冊。

最後に、読者がもっとも興味をもつであろう採算の話をしておこう。印刷、デザイン、校正、印税などの費用は当初から売上で賄えている。ただし、そこにはわたしの編集作業代は含まれていないので只働き状態だったが、ようやくそれが改善しつつある。良質のものを継続して出していけば少しずつ上向きになっていくという予感を抱いている。ビジネスとして成立させられれば必ずやあとにつづく人が出てくるだろうから、これはうれしい希望である。こんなに楽しい作業をわたしが独り占めするのは惜しい。

あるとき脳裏に「30」という数字が点滅した。これは30巻だしなさいというお達しだろうと思い、その数を射程にいれて全体像を考えるようになった。30巻というと多いようだが、今年末には10巻に達するので道のりの3分の一は進む。これが完結するまでは死ねないなあと思う。

◆カタリココ文庫の購入はこちらから→https://katarikoko.stores.jp

第10回 ブックオフ肯定論を検討する(その3)

2022年3月7日
posted by 谷頭 和希
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前回は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の執筆陣の世代に着目しながら、同書が描く「ブックオフ像」を考えた。同書の執筆者は、全員が「ロスジェネ世代」であり、その世代からのブックオフ像が描かれていた。今回も引き続き『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描くブックオフ像を考えたい。

「男性」とブックオフ

「ロスジェネ」に続いて私がここで提示したいのは「非モテ」とブックオフの関わりについてである。2000年代中頃には「ロスジェネ」とは別に、インターネットを中心に「非モテ」という言葉も生まれていた。「非モテ」については、西井開が【中古】AG03-MIKU YAMAHA(集英社新書、2021年)等で探求しているが、「恋人がいない」、あるいは「女性から好意を向けられない」といった人々のことを示している。「非モテ」とブックオフはどのように交わるのだろうか。

ここで参考にしたいのが、同書を企画した夏葉社(岬書店)の編集者、島田潤一郎の記述である。島田は自身の青春時代を回顧しながら、以下のように書いている。

店にはぼくと同じような若者がたくさんいた。お金がなさそうで、付き合っているパートナーもいなさそうで、ゲームとマンガとサブカルチャーが好き。二〇〇〇年代前半は景気がめちゃくちゃ悪かったし、みながみなパソコンをもっているわけでもなかったから、お金がなくて、時間だけがある文化系の若者たちはこぞってブックオフに足を運んだ。

ぼくと同じように学校にも仕事にも行っていなさそうな人たちを見るとほっとした。

前回、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の中でロスジェネ世代の「貧困」とブックオフが強い結びつきをもって語られていることを確認した。島田の証言は、そうした「貧困」とブックオフの結びつきを顕著に語っているが、それ以上に注目したいのは、そこに集っていた若者たちは「ぼくと同じような若者」で、具体的には「お金がなさそうで、付き合っているパートナーもいなさそう」な人々だった、ということだ。ここからは、このような「非モテ」と当時呼ばれるような人々と『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の親和性もどことなく読み取れる。

もちろん、島田の個人的な回想だけから「非モテ」とブックオフをつなげて語ることは、危うさを孕んでいるだろう。しかし、私が「非モテ」という言葉とブックオフのつながりを強調するのは、「非モテ」が持つメンタリティーに注目したいからである。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店)

「孤独」とブックオフ

「非モテ」のメンタリティーとはなにか。精神科医の熊代亨は自身のブログで「非モテ」論壇を回想している。熊代によれば、「非モテ」のメンタリティーの底には「『いっぱしの人間として社会で扱われている感覚の欠如』や『あるべき自分と現実とのギャップ』のような、なにやら心理学的な概念に親和性のありそうな、そういったニュアンスが多分に含まれていた」という。ある種の社会との相いれなさや社会の中で「孤独」であるという感覚を「非モテ」論者が共有していたことが伺える(ちなみに、熊代は非モテ論者たちの集会にも顔を出していたというので、この記述の背景には、熊代自身が感じた非モテ論者の雰囲気があっただろう)。

こうした「非モテ」のメンタリティーに通ずる観点を『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の執筆陣は持っていたのではないか。例えば、先に紹介した島田潤一郎はブックオフのオウンドメディア「ブックオフをたちよみ!」で次のように述べている。

僕は孤独なときや暗い時期にブックオフに救われたんですよ。決してウキウキしながら行っていたわけじゃないけれど……心の拠りどころでした。僕みたいに「ブックオフしか行くところがない」という人は今も全国にいると思うので、そういう人に(引用者注:『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を)読んでほしい。

島田は「孤独」を癒すためにブックオフを訪れていたという。ここでは、「非モテ」のメンタリティーである「孤独」を救う存在としてブックオフが描かれているのである。

こうした論調は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』でホホホ座の座長・山下賢二がブックオフについて「居てて安心するんです。ぼくみたいな『オッサン』がいつまでもいていい場所ですからね」と述べていることにも通じるだろう。あるいはブックオフのオウンドメディア・「ブックオフをたちよみ!」で元プロニートであるphaが「ブックオフはどんなときでも僕らを受け入れてくれる」と書くことにも通じている。

「非モテ」が持つ「孤独」の感覚とブックオフを利用していた人々の感覚の近さはこうしたメンタリティーの面でも指摘できるかもしれない。そしてそれは「貧困」であることに由来する、ある種の劣等感とも結びつき、ブックオフの位置付けを独特のものとして描き出しているのではないか。

「ロスジェネ」と「非モテ」は時代的な重なりはあるものの、一致するものではない。しかし、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の語りは、2000年代に表れたこの2つの思想との強い連関を感じさせるのである。

ブックオフの肯定とはなんだったのか

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』でのブックオフ像は、良くも悪くも2000年代という時代相との親和性が高い。その意味においてその偏りが指摘できる。つまり、次のように言えるのではないか。

すなわち、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』におけるブックオフの肯定は、2000年代のブックオフの肯定ではあっても、それが同時に現在の変容を続けるブックオフを肯定するものにはなっていないということである。

実際、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』には全体的に回顧的な論調が多く見られる。例えば、セドリ(ブックオフで買った本をAmazonなどで売り、利益を得る行為)を行う「せどらー」であるZの論考「ブックオフとせどらーはいかにして共倒れしたか」は一見すると「ロスジェネ」や「非モテ」とは関係ないようにも見えるが、この論考の最終的な着地点は、かつてせどらーが大量に存在していたブックオフへの回顧である。

たとえ、ブックオフが「ブックオフなのに本ねーじゃん!」とCMを打ち、総合リユース店へ変わっていこうと、せどらーは慣れ親しんだブックオフに固執することでしょう。ブックオフの店頭から最後の一冊が消えるまで、せどらーはせどり続けるに決まっています。

ここでは、現在の「総合リユース店」になっているブックオフをどのように肯定できうるのか、という視点はない。ここに2000年代的なるものとの連関が非常に強い『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描くブックオフ像の偏りがよく現れているのではないだろうか。

そこで次回以降は、どのようにすれば『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が持つ肯定的な目線を現在のブックオフに向けることができるのかを考えてみたい。

戯画よりもグロテスクな

2022年3月1日
posted by ファイティング原田本人サイン入り 「ファイティング原田 日本最強のチャンピオン」

第30信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

仲俣さん、僕には判らないのです。僕がこの戦争についても、スラブ人の歴史や文化についてもほとんど何一つ知らないからでもあるでしょうけれど、もしかしたらこれは、世界中の誰もが判らないことなのかもしれません。

ロシア政府はこの戦争をして、なんになると思っているのですか。

ロシア政府の「当面の」目的は、僕にもおぼろげながら見当がつきます。彼らはウクライナに傀儡政権を作りたいのでしょう。NATO加盟に積極的なゼレンスキー大統領を暗殺し、「親ロシア派」の大統領を据えたいのでしょう。

そこまでは理解できます。しかしこれだけの物事が、それで終わるわけがありません。その先にロシア政府は、何があると考えているのでしょう。ロシア帝国の復活ですか。ロシア経済の発展でしょうか。どちらもありえません。帝国が復活したり経済が発展するには、まずそれを支えられるだけの資本力が、ロシアそのものになければなりません。今のロシアに周辺国へ恩恵を授けるだけの資本はありません。

カネではなく、他の利益が今のロシアに見込めるか。それもありません。今のロシアは大国ではない。大きいのは面積だけです。人口は日本とどっこいどっこい、男の平均寿命は70歳に届いていません。経済規模はアメリカの1州と同規模だという話も聞きました。

そのような国家を繫栄させようと思ったら、為政者はなんとかして経済を立て直そうとするもんなんじゃないでしょうか。自国内だけでなく、世界中を相手に商売をしなければならないのではないでしょうか。

ものの売り方を僕は知りませんが、なんにせよ商売は信用第一のはずです。愛想笑いや揉み手をする必要はないかもしれない。しかし商売相手に自国のブランドイメージを高める必要はあるでしょう? ロシア政府は、なぜそれをしないのでしょう?

僕みたいな安閑とした人間が首をかしげても、なんにもなりません。ロシア政府は隣国ウクライナに侵攻しました。ウクライナを破壊し、ロシア人もウクライナ人も殺しました。それは想像を絶する事態です。しかしそれ以上に恐ろしいのは、この侵攻が、いつかは終わる、ということです。どれくらい時間がかかるのか、どのようにして終わるのか、まったく見当がつきませんけれど、いつか、なんらかの決着がつくのです。

ウクライナが降伏するのか、ロシア軍が撤退するのか、あるいは戦域をもっと拡大させるのか、いずれにしても終わります。その「終わり」を、これを始めたロシア政府は、どのように幻視しているのか。僕にはそれが全然判らないのです。

戦争を始める為政者は、終わった後のことなど考えないと、どこかで読んだことがあります。そうなのかもしれませんが、それでも終わりはやってくる。

むこうに檜(ひのき)があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人のやり口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭(ほうてい)へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまであせったって片付く事があるものか。

唐突に『吾輩は猫である』の一節を思い出しました。クシャミ先生の前で長広舌をふるう哲学者先生は、この「西洋人のやり口」に比較して日本の文明を称揚し、

山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日をめぐらす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。

と続きます。もちろん、今の日本がこのような「心持ちを養成」しているとは、とても思えませんけれど。

ここまで書いて今ネットのニュースを見ると、ロシアの大統領(名前なんか書きたくない)は、とうとう「核戦力」までちらつかせだした、ということです。それが本気であれば、かの大統領を狂人と呼ぶのに僕は躊躇しないし、ただのハッタリ、脅しにすぎないのなら、あの男に権力を持つ資格はありません。

* * *

一夜明けました。2月最後の日です。インターネットからの情報には、日増しに信が置けないものが増え、テレビや報道機関の情報は、「専門家」の言葉が煮え切らない印象があります。

欧米はロシアの主要銀行を、国際的な決済システムから除外することを決定したそうです。日本もこの決定に参加するそうですが、このシステムは「SWIFT」というそうです。何の略称なのか僕は知らないし、これからも知ることはないでしょう。僕が知っているのは、ただ、『ガリバー旅行記』を書いたJonathan Swiftだけです。

……そして私は、世界の他の国の、人間の性質について、主人としばしば話しあったことを思い出す。他のことなら鋭い判断力を発揮するのに、話が「嘘」とか「虚偽の表現」のこととなると、かれは、私の言っていることを理解するのにたいへん骨をおっていた。かれはこう言った。話すことの効用は、たがいに意思疎通をし、事実に関する知識を得ることだ。しかし、もしも、だれかが、ないものをあると言ったら、その目的はだいなしにされる。相手を本当には理解できなくなるし、知識を得るどころか、白いものを黒いものと、長いものを短いものと信じてしまうのだから、無知よりも一層ひどい状態になる。これが、嘘の機能についてのかれの考えだった。人間のあいだでは、こんなことはまったく了解済み、当たり前のことだという。

つい去年「B&B」でじっくり読んだ『ガリバー旅行記』の文庫本が見当たらないので(よくあることです)、この言葉をエピグラフに引いているフィリップ・ロスの『われらのギャング(Our Gang)』(青山南訳)から採りました。『われらのギャング』は、ロスがニクソン大統領を徹底的に(異常なまでに徹底的に)戯画化した小説ですが、発表は1971年で、ウォーターゲート事件の前です。

政治的な事件が起こるたびに、僕はこの小説を思い出します。日本で政権が民主党から自民党に戻って以来のことを、この小説の手法で書いたらどうだろうと、僕はずっと夢想していました。けれども今は、その気持ちが萎えています。イアン・ブレマー氏(誰だか知りません)がロイター通信のインタビューで言っているように、この戦争はロシア政府の最高権力者である大統領が、アメリカの大統領、ドイツの首相、フランスの大統領に、侵攻の意図はない、これは軍事演習だと、嘘をついて始まりました。政治に嘘はつきものでしょうが、これはロシアの大統領が他国の首長に向かって、じかに、自分の口で、「白いものを黒いものと、長いものを短いものと」言ったのです。そのあまりにも厚顔な、原始的な、幼稚な政治手法によって、彼は自分の見も知らぬ人を、次々と殺している。殺すように人に命じている。そんな現実の、あまりのグロテスクさに、「戯画」を描こうとする筆は、いま、凍りついています。

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